ポケットモンスター「GOTCHA!」感想

私は今年33歳になった。ポケットモンスターが初めて世に出た頃は、たしか小学校の4年生くらいだったと思う。

調べればすぐにわかる事だが、あえて調べずに記憶に拠ってこのブログを書く。


一番初めに遊んだポケモンは緑だった。まわりでは赤が人気だったような気がするが、友達の誰がどのソフトで~というのはあまり覚えていない。出現するポケモンが微妙に違っていたりするので、結構大事な要素のはずなのになぜだろう。子供の頃は気にしていたのかもしれないが、とにかくみんなで「ポケモン」をしていた。

歳をとり、今でこそゲームに熱中6時間!なんて体力と熱意は無くなってしまったけれど、幼い私はかなりの時間をゲームや攻略本の読み込みに費やした。誕生日やクリスマスのおねだりといえばスーパーファミコンのソフトだったし、お年玉ではゲームボーイの通信ケーブルをやっとの思いで手に入れた。当時ゲームボーイで遊ぶ子供たちの間では、通信ケーブルを持っている子がヒエラルキーのトップだったのだ。

どの順番で遊んだのかは定かではないが、ドンキーコング12星のカービィスーパーデラックス、マリオのなんか色々入ったやつと、ポケットモンスター。これらは本当に骨の髄までしゃぶって遊んだ。カービィなんかは気軽にデータをぶっ飛ばしてくれやがるので、また始めからだよ!と憤りながら何度も何度もクリアした。同世代のゲーマーならならすぐに分かってくれることと思う。今なら回収ものだろうが、20年以上前には誰もそんなことは言わなかった。騒ぎになっていたのかもしれないが、子供の私の耳には入ってこなかったし、データが吹っ飛ばされることも、一種のゲーム性として楽しんだ。いつしか攻略本を見なくても宝箱をすべて見つけられるようになり、私はそれが誇らしかった。


ポケモンに話を戻そう。


ポケモンはめちゃくちゃ流行った。小学校の6時間目までが授業で、7時間目がポケモンみたいな毎日だった。放課後になると走って家まで帰り、ゲームボーイを持って通信ケーブルを使わせてくれる子の家に集まった。家が使えない時はその辺の駐車場とか河川敷とか、どこでも良かった。とにかくひたすらポケモンで遊んだ。

SNSどころかネットも普及する前の時代のことなので、友達からの情報やゲーム雑誌で紹介される裏技を必死に集めた。道具のソートはリセットボタンで出来る。目には見えないけどここにはふしぎなアメが落ちている。サファリパークにはラッキーが出る。メタモンはスロットの景品で、ゲンガーは交換でしか手に入らない。

メモを取った覚えもない。私たち子供は、みんなそれらを苦もなく覚えた。


緑を遊び尽くした頃、少し遅れて青が発売された(よね?)

ミュウを手に入れるバグ技と引き換えに緑を文字化けさせた私は、青も買ってもらいこれも毎日毎日遊んだ。緑はフシギダネ、青はゼニガメ。それぞれのソフトの2週目はヒトカゲを選んで冒険に出た。タマムシシティのデパートが大好きだった。

緑と青の次は金と銀、パールと夢中になって追いかけたが、木の実の要素が出てきてからそれを億劫に感じ始め、育成値とかなんとかになるともう駄目だった。買ったはいいがクリアに至らないことが増え、私はポケモンで遊ばなくなってしまった。

キャラクターグッズを買ったりポケモンセンターに行ったりはしても、ポケモンを連れて冒険に出ることはなくなった。


そんなところに例のMVである。


やけにツイッターが騒がしいな。BUMP好きのフォロワーさんが死んでるけど何があったのかな?トレンドにデンリュウがいるけどなんで?まぁいいや明日にしよー。

と流して寝た。

次の日起きて仕事に行く支度をして、通勤電車の中で暇なのでその詳細を探ることにした。なるほどポケモンBUMPが公式でコラボしたMVYouTubeに上がったらしい。見てみよー。




電車の中でアホほど泣いた。





MVの詳細を語ると百億万字でも足りないので省かせてもらうけれど、グリーンが出てきた瞬間に涙腺が崩壊して、レッドでもうダメだった。ダメすぎて1YouTubeを閉じたレベルでダメだった。乗り換えの駅で電車を降りて、もう一度泣きながら再生した。オーキド博士の顔を見て、マスクがびしゃびしゃになるくらい泣いた。今は亡き石塚運昇さんの声がはっきりと聞こえた。

上手く言えないけれど、懐かしいというのとはちょっと違う。失われていたものを取り返したような感覚に近い気がした。ハッとさせられるというか。君の大事なもの、ずっとこっちで預かっていたんだぜ、とレッドから手渡されたような感じ。私はそれを忘れていたので、びっくりして、とても嬉しくて泣いてしまったのだと思う。あと単純にめちゃくちゃかっこいいから!

私はボロボロに泣きながら、夢中になってポケモンで遊んだ子供の私に感謝した。子供の私が、大人になっても泣けるように用意してくれた愛がそこにはあった。楽しかったね。

ツイッターにも同じことを呟いたけれど、オタクを長年やっているとこうやって涙を流すことがたまにある。自分の琴線に触れるものを、きちんと自分で増やしながら大人になれたことが嬉しい。そこを触ってくれるのが公式なんて、こんなに幸せなことはないので任天堂さんには頭が上がらない。


またポケモンやろうかな。